ベースアップ評価料の届出を済ませた医療機関が次に向き合うのが、「その収入を、どの形で職員の給与に乗せるか」という問題です。基本給を上げるのか、新しい手当をつくるのか。どちらを選ぶかで、賃金規程の書き方、残業代の単価、社会保険料、さらには扶養の範囲で働くパート職員の働き方まで変わってきます。
届出の手続きについては厚生労働省から手引きや支援ツールが出ていますが、給与規定や給与計算にどう落とし込むかは、医療機関ごとに設計する必要があります。本稿では、社会保険労務士の立場から、ベースアップ評価料を給与に反映するときの考え方と、規程・計算・運用のポイントを順を追って解説します。
制度の内容は、厚生労働省の「令和8年度診療報酬改定におけるベースアップ評価料等について」の特設ページ、届出の手引き、疑義解釈資料などで確認できた範囲に限って記載しています。個別の判断は、管轄の地方厚生(支)局にご確認ください。
Contents
ベースアップ評価料とは?給与に反映する前に押さえたい枠組み

ベースアップ評価料は、医療機関に勤務する職員の賃金改善のために診療報酬に設けられた評価です。無床診療所の多くは「外来・在宅ベースアップ評価料(Ⅰ)」を算定し、それだけでは賃上げの原資が大きく不足する場合に「(Ⅱ)」を追加します。入院医療を行う医療機関には「入院ベースアップ評価料」があります。
令和8年度改定での主な変更点
厚生労働省の手引きによると、令和8年度改定で要件が変わったため、令和8年6月からの算定には、これまで届け出ていた医療機関を含めすべての医療機関で届出が必要になりました。届出は、地方厚生(支)局の都道府県事務所ごとに設けられた専用メールアドレスへExcelの届出様式を送る方法が基本です。
疑義解釈資料では、令和8年度と令和9年度のそれぞれで3.2%分のベースアップ(看護補助者・事務職員は5.7%分)を支援する措置が講じられたと説明されています。外来・在宅ベースアップ評価料(Ⅰ)の点数は、令和8年度で初診時17点、再診時等4点です。なお、3.2%や5.7%に届かない場合でも算定はできますが、得た収入をすべて賃金改善に充てるルールは変わりません。
収入を充ててよいもの・充てられないもの
手引きでは、ベースアップ評価料の収入の使い道が次のように限定されています。
- 対象職員の基本給のベースアップ
- 決まって毎月支払われる手当の引上げ
- 上記に伴う賞与、時間外手当、法定福利費(事業者負担分を含む)などの増加分
これ以外の人件費や材料費などに使うことはできません。つまり、給与への反映方法は「基本給」か「毎月決まって支払われる手当」のどちらかが軸になります。
対象職員に含まれない人
疑義解釈資料では、保険医療機関の開設者と管理者、法人の代表者と役員は対象職員に含まれないとされています。また、業務委託(請負)で働く人は対象外で、派遣職員は、派遣元と協力して自院の職員と同程度以上の賃金改善を行うなどの要件を満たす場合に限り対象にできます。院長のご家族が職員として雇用されている場合は、役員かどうかなど、立場によって扱いが変わるため、雇用契約の内容を確認しておくと安心です。
還元方法の選び方:基本給への組込みと定額手当の比較

ベースアップ評価料を給与に反映する方法は、大きく分けて「基本給に組み込む」方法と、「毎月固定の手当として支給する」方法があります。どちらにも長所と注意点があります。
基本給に組み込む場合
基本給そのものを引き上げる方法は、職員にとって分かりやすく、賞与を基本給に連動させている医療機関では賞与にも反映されます。一方で、いったん上げた基本給を下げることは難しく、診療報酬の見直しで原資が減っても元に戻しにくい点に注意が必要です。
毎月固定の手当として支給する場合
「ベースアップ評価料手当」のような名称の手当を新設する方法は、評価料による賃金改善の額が明確になり、毎年8月の報告書を作るときにも集計しやすくなります。また、規程に見直しの条件を定めておけば、制度変更時の対応方針も示せます。ただし、手当にしたからといって自由に減額できるわけではない点は、後述のとおりです。
賞与で還元したいときの注意点
「毎月の手当は控えめにして、残りは賞与で還元したい」という相談はよくあります。しかし、手引きで認められているのは、基本給や毎月の手当の引上げに伴う賞与の増加分です。評価料の収入を、基本給等の引上げと関係のない賞与として直接支給してよいかどうかは、公表資料の範囲では確認できませんでした。賞与での還元を検討する場合は、規程を作る前に地方厚生(支)局へ確認することをおすすめします。
| 比較の視点 | 基本給に組み込む | 毎月固定の手当にする |
|---|---|---|
| 評価料の使途との関係 | 基本給のベースアップとして認められる | 決まって毎月支払われる手当として認められる |
| 職員への分かりやすさ | 給与全体が上がり分かりやすい | 評価料による改善額が明細上で分かる |
| 報告書の集計 | 改善前の給与体系との比較が必要 | 手当の支給額から集計しやすい |
| 割増賃金の計算基礎 | 含まれる | 含まれる |
| 制度変更時の見直し | 引き下げは難しい | 規程に見直し条件を定めておける(減額には同意が必要) |
賃金規程の変更:条文に盛り込みたい項目

手当を新設する場合は、賃金規程(給与規程)に条文を追加します。規程があいまいだと、支給額の根拠を職員に説明できず、報告書の作成でも困ります。
手当の目的と支給対象
まず、手当がベースアップ評価料による賃金改善のためのものであることを明記します。そのうえで、支給対象を「対象職員」の範囲に合わせて定めます。前述のとおり、開設者・管理者・役員は対象職員に含まれないため、規程上の支給対象とずれが生じないようにします。
金額の決め方と見直しの時期
金額は、基本給に対する一定の割合で決める方法や、職種ごとの定額にする方法があります。評価料の収入は患者数によって月ごとに変わりますが、手当の額まで毎月変えると給与計算が煩雑になり、社会保険の手続きも増えます。手当は毎月固定額とし、年に1回など見直しの時期を条文で決めておくのが現実的です。
制度が変わったときの取扱い
診療報酬は改定のたびに見直されます。そのため、「ベースアップ評価料の制度が変更または廃止された場合は、手当の額を見直し、または支給を終了することがある」といった条項を入れておきます。
ただし、この条項があれば一方的に減額できるわけではありません。労働契約法第9条は、使用者が労働者と合意することなく、就業規則の変更によって労働条件を不利益に変更することを原則として認めていません(第10条の合理性の要件を満たす場合を除く)。手当を減額・廃止する際は、理由を説明したうえで個別に同意を得て、書面で残すことが基本です。
辞退の申出に関する定め
扶養の範囲内で働きたい職員のために、手当の受取りを本人が辞退できる規定を設ける医療機関もあります。辞退を認める場合は、申出の方法と時期、撤回の手続きを定め、本人の意思で辞退したことを書面で残します。あわせて、辞退分の原資をほかの職員の賃金改善にどう充てるかも決めておきます。
就業規則の変更手続き
賃金規程は就業規則の一部です。常時10人以上の労働者(パート・アルバイトを含む)を使用する事業場では、変更後の規程に労働者代表の意見書を添えて、所轄の労働基準監督署長に届け出る必要があります(労働基準法第89条・第90条)。意見書は、特に意見がない場合もその旨を記載してもらいます。変更した規程は、職員がいつでも見られる状態にして周知します。
給与計算への影響:割増賃金と社会保険料

手当の新設は、手当の金額だけでなく、残業代と社会保険料にも影響します。原資を見積もるときは、この増加分まで含めて考える必要があります。
手当は割増賃金の計算基礎に含まれる
割増賃金の計算基礎から除外できる賃金は、家族手当、通勤手当、別居手当、子女教育手当、住宅手当、臨時に支払われた賃金、1か月を超える期間ごとに支払われる賃金に限られます(労働基準法第37条第5項、同法施行規則第21条)。
新潟労働局(長岡労働基準監督署)のリーフレットでは、看護職員等処遇改善事業補助金による「決まって毎月支払われる手当」は除外賃金に当たらないため、割増賃金の計算基礎に算入する必要があると説明されています。ベースアップ評価料による毎月の手当も同じ考え方で、残業代の単価が上がると考えておくべきです。なお、同リーフレットでは、手当を賞与の算定に反映させるかどうかは各医療機関の定めによるとされています。
時間外労働の割増率は2割5分以上(1か月60時間を超える部分は5割以上)、休日労働は3割5分以上、深夜労働は2割5分以上です。残業が多い職種ほど、手当の新設による増加額は大きくなります。評価料の収入は、こうした時間外手当の増加分にも充てることができます。
社会保険の随時改定
手当の新設は固定的賃金の変動に当たります。日本年金機構によれば、固定的賃金が変動し、変動後の継続した3か月間(いずれも支払基礎日数17日以上。特定適用事業所の短時間労働者は11日以上)の報酬の平均が、従来の標準報酬月額と比べて2等級以上変わる場合には、標準報酬月額の随時改定が行われます。手当の額が小さくても、ほかの変動と重なって2等級以上の差になることがあるため、支給開始から3か月間の報酬は確認しておきます。
法定福利費の増加分も原資から充てられる
疑義解釈資料では、賃金改善に伴って増える健康保険料、介護保険料、厚生年金保険料、子ども・子育て拠出金、雇用保険料、労災保険料などの事業者負担分を、評価料の収入を充てられる範囲としています。報告書では、合理的な方法による概算(最大16.5%)も認められています。一方、退職手当共済の掛金のような任意加入制度の増加分や、企業型確定拠出年金の掛金は含まれません。
扶養の範囲で働くパート職員への配慮

手当を新設すると、配偶者の扶養に入って働くパート職員の年間収入の見込みが増えます。本人が知らないうちに扶養の基準に近づくことがないよう、事前の説明が大切です。
令和8年4月からの被扶養者認定の取扱い
厚生労働省の通知(令和7年10月1日付)と日本年金機構の案内によると、令和8年4月1日以降は、労働条件通知書などに記載された賃金から見込まれる年間収入が130万円未満であるなどの要件を満たせば、原則として被扶養者として取り扱われます。この「賃金」には諸手当と賞与も含まれます。
つまり、ベースアップ評価料手当を労働条件通知書に記載すれば、その分も年間収入の見込みに入ります。また、労働条件が変わった場合は、そのつど内容が分かる書面の提出が求められます。手当を新設したら、扶養内で働く職員の労働条件通知書を見直し、見込み年収を一人ずつ確認することをおすすめします。
臨時の収入増と認定の関係
同じ通知では、当初想定されなかった臨時収入によって結果的に年間収入が130万円以上になっても、それが社会通念上妥当な範囲にとどまる場合には、被扶養者としての取扱いを変える必要はないとされています。ただし、毎月固定で支払う手当は臨時収入とはいえないため、この取扱いに頼るのではなく、労働契約の段階で見込み年収を管理することが基本です。
本人の選択を尊重する仕組み
扶養の範囲で働き続けたい職員には、手当の辞退や勤務時間の調整といった選択肢を示します。どの選択が有利かは家庭の事情によって異なるため、医療機関側が決めるのではなく、制度を説明したうえで本人に選んでもらい、結果を書面で残すことが大切です。
原資の変動に備えた運用と報告

ベースアップ評価料の収入は、患者数や受診回数によって変わります。開業から間もない医療機関や、診療体制を変えたばかりの医療機関では、見込みと実績の差が大きくなりがちです。
賃金改善の時期と使い切りのルール
疑義解釈資料によると、賃金改善は原則として算定開始月から実施し、算定する月は続ける必要があります。6月から翌年5月までの収入を、その年の4月から翌年3月までの賃金改善に充てることも認められています。やむを得ない理由で算定開始月から実施できない場合は、同じ年度の末までに算定開始月まで遡って賃金改善を行えば、算定開始月から実施したものとみなされます。
令和8年6月から令和9年5月までの収入は、原則として令和9年5月までの賃金改善に使う必要があり、翌年度への繰越しは想定されていません。ただし、患者数などの変動で、収入額が確定した後にやむを得ず残余が出た場合は、実績報告書を提出する8月までの賃金改善に充て、その分を含めて報告することができます。
余裕を持った手当の設定
手当を下げることは不利益変更になるため、最初から収入見込みの上限で手当を決めず、ある程度の余裕を残して設定することが大切です。余裕を残しておけば、職員が増えたときにも、既存の職員の手当を下げずに対応しやすくなります。残余が出た場合の充当方法も、事前に決めておくと慌てずに済みます。
届出区分の変更と毎年の報告
疑義解釈資料では、対象職員の数が1割以上変わり、改めて区分を計算した結果、区分が変わる場合は、計算した月のうちに地方厚生(支)局長に届け出て、翌月から変更後の区分で算定するとされています。
また、ベースアップ評価料を算定する医療機関は、毎年8月に賃金改善の状況を報告する書類(賃金改善実績報告書・中間報告書)を提出します。対象職員の賃金水準を、評価料による改善分を除いて引き下げたうえで賃金改善を行う場合は、「特別事情届出書」(様式94)の届出も必要です。日ごろから、月ごとの評価料の収入額と手当の支給額を記録しておきましょう。
導入時のチェックリスト
- 受診回数の実績から、評価料の収入見込みを月単位で試算する
- 手当の額に加え、割増賃金と法定福利費の増加分まで見積もる
- 支給対象を対象職員の範囲と照らし合わせる
- 賃金規程の条文(目的・対象・金額・見直し・辞退)を整える
- 意見書を添えて就業規則の変更を届け出て、職員に周知する
- 扶養の範囲で働く職員に個別に説明し、労働条件通知書を更新する
- 勤怠システムと給与ソフトに手当の項目と割増賃金の設定を反映する
- 月ごとの収入額と支給額を記録し、8月の報告に備える
ベースアップ評価料と給与規定のお悩みはストラーダグループへ

ベースアップ評価料を職員の給与に反映するには、診療報酬のルールと、労働基準法・労働契約法・社会保険のルールを同時に満たす設計が必要です。手当の金額設定、賃金規程の条文づくり、就業規則の届出、扶養内で働く職員への説明、給与計算の設定まで、一つずつ確認しながら進めることで、職員にも医療機関にも納得感のある制度になります。
ストラーダグループの社会保険労務士法人では、医療機関の賃金規程の整備や給与計算の運用をサポートしています。ベースアップ評価料の還元方法や規程の見直しでお困りの際は、お気軽にご相談ください。




